Alfa Romeo Owners Club of Kagawa
アルファロメオ オーナーズ クラブ 香川

Alfa Romeo Owners Club of Kagawa アルファロメオ

1993年DTMについて

Alfa 155 2.5 V6 TI アレッサンドロ・ナニーニ(Alessandro Nannini)車

 DTMとはドイツツーリングカー選手権(Deutsche Tourenwagen Meisterschaft)のことで、1984年〜1996年まで行われていたレースです。初期の頃はFIAグループA規則(FIA Group A)で運営されていましたが1993年からFIAクラス1規則(FIA Class 1)によって運営されるようになります。市販車に似た形はしていますが完全なレーシングカー。排気量は2500ccまででノーマルアスピレーション(自然吸気)、ABS、4WD、電子デバイス、カーボンファイバーの使用など何でもありでした。成績により重量を加算されるウエイトハンディキャップなどのルールで大変なバトルがあったレースです。F1をも凌ぐ程の人気があり、メーカーの威信を賭けて戦っていました。

 事の起こりは1992年になります。それまで参戦していたAudi(Audi V8 quattro)、BMW(BMW M3 Sport Evolution)が1992年限りで撤退する事になります。(Audiは1992年第7戦ノリスリングから公認部品の解釈を巡って主催者と決裂し撤退、BMWは新型M3の公認が取得出来なかった。)メルセデスはDTMの将来を考えてアルファロメオに参戦の招待をします。おそらくですがDTMの将来を考えたのではなくてメルセデス自身1991年はチームとマニュファクチャラーズの両タイトル、1992年はドライバーズタイトル、チームとマニュファクチャラーズ全てのタイトルを獲得する程の勢いがあり、1993年はAudi、BMWもいないため確実に勝てる年と確信していたのでしょう。しかしライバルメーカーがいないとレース自体が盛り上がらないためアルファロメオに声をかけたというのが真相だと思います。招待した時点でまさかアルファロメオが初戦から活躍するとは思ってもみなかったのでしょう。

 アルファロメオ・レーシング部門のアルファ・コルセ(Alfa Corse)の代表ジョルジオ・ピアンタ)(Giorgio Pianta)は参戦を決定します。1992年9月にはAlfa 155 2.5 V6 TIをシェイクダウンさせました。たったの7ヶ月で仕上げてきたのでした。排気量2498cc、ノーマルアスピレーションの60°V6DOHC、圧縮比12.5、出力420ps/11800rpm、トルク30.6mkg/9000rpm、ZF製センターデフ4WD(33:67)[後にファーガソン(Ferguson)のビスカス(Viscous)に変更]、車体サイズ4576×1750×1410、ホイールベース2540、重量1040kg、6段ミッション(シーズン途中から6段シーケンシャルトランスミッション)、電動パワーステアリング(Electric power steering )、ブレンボ(Brembo)の4ピストンキャリパー、タイヤはミシュラン(Michelin)254/650-19で、ホイールはテクノマネージョ(TecnoMagnesio)スピードライン(speedline)、オーゼット(O・Z)10J-19、ボディーはチューブラフレーム+サブフレームにカーボンコンポジットのボディーで出来ていました。ドライバーはニコラ・ラリーニ(Nicola Larini)とアレッサンドロ・ナニーニ(Alessandro Nannini)の元F1パイロットを起用。シューベル・アルファ(Schubel Alfa)にクリスチャン・ダナー(Christian Danner)とジョルジオ・フランチア(Giorgio Francia)を起用しました。

 1993年はAudi、BMWが撤退。Opel Calibra V6 4x4は開発が遅れて車が間に合わない状態。メルセデスはMercedes C-Class V6を開発を始めていたのですがDTM主催者ITRが車両の条件判断が遅れたため開発を中断しなければならなかった。昨シーズンのチャンピオンマシーンだったMercedes 190E 2.5-16 Evo IIの4気筒エンジンのままシーズン突入となりました。

 1993年開幕戦はベルギー(Belgium)のゾルダー(Zolder)で行われました。アルファロメオ関係者以外のサーキットにいた人たちは、誰もがDTMでの長い実績があり、前年のチャンピオン、メルセデスが圧倒的に強いと思っていました。しかし予選が始まるや状況が一変します。1993年アルファ・ショックの始まりです。

 予選でアルファロメオが1位ラリーニ,3位ナニーニ,4位フランチア。圧勝と思っていたメルセデスはベルント・シュナイダー(Bernd Schneider)が2位を何とか死守。先頭集団はアルファレッドに埋め尽くされた。
 雨の中Round1レースはローリングスタート。雨のレースでアルファロメオ4WDの威力もあったが激しい競り合いの結果1位ラリーニ、2位ダナー、3位ローラント・アシュ(Roland Asch)とワン・ツーフィニッシュを決めた。Round2レースはRound1レースの結果順でスタート。結局1位ラリーニ、2位ダナー、3位ナニーニのワン・ツー・スリーフィニッシュの快勝であった。この結果にメルセデスは大変な衝撃を受ける。エンジン搭載位置の低重心化、高出力化や更なる軽量化を図ります。

 第2戦ホッケンハイム(Hockenheimring)も予選はナニーニ、ラリーニ、フランチアの1,2,3位。しかしタイヤバーストなどが起きてRound3,4共にメルセデスのシュナイダーが勝利。

 第3戦ニュルブルクリング(Nurburgring)予選はメルセデスのシュナイダーが取るが決勝Round5はアルファロメオのラリーニが勝利。Round6はメルセデスで1992年チャンピオンのクラウス・ルドヴィック(Klaus Ludwig)が優勝。

 第4戦は空軍の飛行場を利用したコースWunstorf(ウンシュトルフ?)は予選1位ラリーニ。決勝Round7はラリーニ。Round8はメルセデスのクルト・ティム(Kurt Thiim)が優勝。

 第5戦は一周25.3km。ニュルブルクリンクのオールドコース、ノルドシュライフェ(Nordschleife)。予選はメルセデスのイエルク・ファン・オーメン(Jorg van Ommen)。決勝Round9,10はラリーニが勝利しマイスターとなる。 ※ノルトシュライフェ(Nordschleife)

 第6戦ノリスリング(Norisring)。ニュールンベルグ(Nuremberg)の町を封鎖したコース。ここからナニーニ車にツインレバーシーケンシャルトランスミッションが採用される。予選はメルセデスのティム。決勝はRound11,12共にラリーニの4連勝。

 ノンタイトル戦イギリスのドニントンパーク(Donington Park)は予選がダナー、決勝はダナーとラリーニがそれぞれ勝ってアルファロメオの完全勝利。

 第7戦は飛行場のコース、ディープホルツ(Diepholz)。予選はアクティブサスペンションを搭載したメルセデスのシュナイダー。決勝Round13がメルセデスのアッシュ、Round14がラリーニ。

 第8戦は市街地コースのジンゲン(Singen)。予選ラリーニ。決勝Round15がラリーニ、Round16がメルセデスのシュナイダー。

 第9戦アウトバーンを封鎖してのコース、アヴス(Avus)。ウエットからドライへ変化の激しいレースだった。予選はナニーニが1位。決勝Round17,18メルセデスのアシュが連勝。メルセデスがDTMで50勝目。このレース手堅く6位に入賞したラリーニがドライバーズチャンピオンを獲得。この時点でマニュファクチャラーズタイトルはまだメルセデスでした。 ※Avus=Automobil-Verkehrs- und Ubungs-Strabe アウトバーンの元となった実験線だったところ。

 最終戦第10戦ホッケンハイム。予選はメルセデスのティム。決勝Round19,20共にナニーニ、フランチアの1,2フィニッシュ。ナニーニ専用のツインレバーシーケンシャルトランスミッションがやっと勝利に結びつけました。1990年のヘリコプター事故からの復活勝利がレースファンを喜ばせたのでした。このレースからオペルがOpel Calibra V6 4*4を投入しました。

結果1993年シリーズは

ドライバーズ ポイント
ラリーニ 261
アシュ 204
シュナイダー 172

チーム ポイント
アルファコルセ 323
AMG 305
シューベルアルファ 244

マニュファクチャラーズ ポイント
アルファロメオ 332 12勝 ポールポジション12回
メルセデス 320 8勝 ポールポジション8回
BMW 20

 となり、アルファロメオがタイトルを全て取得しました。しかしドライバーズタイトル以外のポイントを見ればわかりますがあまり差がありません。アルファロメオはラリーニが飛び抜けていましたがメルセデスの安定感は特筆すべきもので、それだけ激しいシーズンだった事が伺われます。DTMルールの勝てば重りを増やされるウエイトハンディキャップがレースをおもしろくしたのは言うまでもありません。

 最終戦にオペルがOpel Calibra V6 4*4を投入して予選はマニュエル・ロイター(Manuel Reuter)が5位、ケケ・ロズベルク(Keke Rosberg)が7位と検討したがRound19はロズベルクの7位、Round20はリタイヤと終わっているくらいDTMとは難しいレースだったはずですがアルファロメオは参戦直後から結果を残しているから伝説として語り継がれるのです。

 このDTMによりアルファロメオはスポーツカーの名声を取り戻し、売り上げにも貢献したのでした。日本でもAlfa 155の人気に火がつきました。あれから16年がたった現在でもDTM仕様に改造したアルファロメオを見かける事がありますからその印象及び影響たるや凄いものがあります。

 1994年にはメルセデスがV6のMercedes C-Klasse、オペルがOpel Calibra V6 4*4を本格投入してきます。エンジンは横並びになりますます激しいレース展開となるのでした。

 1996年までDTM→ITC (International Touring-Car Championship) となってモンスターマシーンの激しい戦いは繰り広げられるのでした。1996年には鈴鹿サーキットで最終戦が行われています。しかしあまりに過激なマシーン故に経費がかさみ過ぎて結局1996年で終わってしまったのです。現在は2000年から新しいDTM(Deutsche Tourenwagen Masters)が行われています。

 DTMをちょっと見たい方はYouTubeなどで見られます。"DTM 1993"と検索してください。コーナーに2台が並んで突っ込んでいくシーンは圧巻です。先頭集団だけでなく、至る所でバトルが繰り広げられています。テールトゥノーズや接触は当たり前でレースしてます。カメラワークも良いので、ABCペダルの操作の仕方や、いろいろな角度からの車載カメラ映像は楽しめます。特にメルセデスのローラント・アシュは楽しそうにレースをしてます。ピットスタッフのレース展開によって喜ぶシーンもおもしろいです。開催地によってセーフティーカーにアルファロメオ RZが採用されています。

 1993年のDTMはアルファロメオ乗りにとって大変思い入れのあるレースシーズンなのでした。



:色々調べて書きましたが間違っている所もあるかもしれません。


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